2009.06.14

バイリンガル・メソッド その2

 David Conclin(デイビッド・コンクリン)が私の生徒になったのは、今から二十数年前、私が米国オハイオ州にいた時のことでした。Ohio Wesleyan Univ. (オハイオ・ウェズリアン大学)で心理学の聴講生としてしばらく席を置いていた時にこの話が持ち上がりました。彼はこの大学の2回生で経済学を専攻していました。彼は日本に大変興味を持ち、将来は日本の企業で働きたいと思っていました。彼はこの年、「日本語」を第2言語として履修しようと思ったのですが、あいにくこの大学には日本語の講座がありません。そこで彼は教務に相談し、得られた結果は、『オハイオ州立大学の「日本語講座」を受講し、取得した単位は彼が席を置いているオハイオ・ウェズリアン大学の単位として認められる』というものでした。もっともオハイオ州立大学は遠くに位置していますので、彼が直接授業を受けることができません。そういった理由で大学から私に日本語講師の依頼があったわけです。10週間のコースで、1時間半の授業を週2回。場所は私のアパート。コース終了後は、本人がオハイオ州立大学に出向き単位認定のテストを受けなければなりませんでした。使用するテキストは早稲田大学が開発した入門書。しかし、かなり分厚いものでした。

 デイビッドは大変優秀な生徒で1回生の時は、Straight “A” Student(全部「優」を取得した生徒)でした。私の授業には無遅刻無欠席。予習も復習もきっちりやってくる生徒でした。私が取り入れた教授法は以前にもご紹介した、「バイリンガル・メソッド」で、教科書に載っている日本語をすべて私が英語に直し、彼はその英語を見て日本語に訳していくのです。授業の大半は英語で進められ、必要に応じて彼が英語→日本語を口頭で言っていいきます。口頭練習では必ずストップウォッチを使い、彼が日本語に直すスピードをチェックし記録を残しておきます。最初はもたもたして時間がかかるのですが、何度も繰り返し練習していくうちに、しだいにはやくなっていきました。例えば20の文章を英語→日本語に言換えるのに前回は2分50秒要したものが今回は2分43秒で言えたというふうになっていきます。その言葉の反応を「時間で管理」していくわけです。
“I translate these sentences more rapidly than before by 7 seconds!” 「前回より7秒早く言えるようになったよ!」ディビッドの嬉しそうな表情は、まるでスポーツ選手が自己記録を破った時のそれに似ていました。
 授業も5週間が過ぎた頃、州立大学の教授が一度私の日本語コースの授業を参観したいと言ってきました。バイリンガル・メソッドを紹介する良い機会でもあったので、快く引き受けました。ディビッドは5週間で日本語能力が身についたという実感があったのか彼も大変乗り気でした。
 参観当日、急きょ授業場所を私のアパートから大学の一教室に移し、教授と他のスタッフ10人ほどが見守る中、1時間半の授業を行いました。文法の説明は私が英語で行い、英語→日本語のセッションでは、ディビッドが私の英語を聞いた瞬間にそれを日本語に直していきました。ストップウォッチで記録を取りながらの1時間半はあっという間に過ぎていきました。
 参観後、大学教授は苛立ちを隠せない様子で、「日本語の授業なのだから、君はもっと日本語を使うべきではないのか?」と言い残し、私の前から立ち去りました。バイリンガル・メソッドにかなりの自信を持っていた私でしたが、その時ばかりはひどく落ち込んでしまいました。「大学の教授に否定された教授法で授業を受けていたディビッドはさぞ迷惑しているだろうな…」と申し訳なさそうに彼の顔を見ると、彼は笑顔で ”Don’t worry, Aki. I’ve trusted you, and I will!”「Aki(私の米国名)、気にするなよ。君のことは信じていたし、これからも信じるよ。」
 後半の5週間はあっという間に過ぎ去りました。しかし、内容は濃く真剣そのものでした。1時間半の授業が時には2時間、いや3時間に及ぶこともありました。「お互い良い結果を残したい」2人の共通した願いでした。
 10週間のプログラムがほぼ終わり、オハイオ州立大学に行って単位認定の試験を受ける日が近づいてきました。「ディビッド、大丈夫か?」”I’m OK.” 「本当かなぁ…?」心配性の私は彼にこんな話を持ちかけました。「いちど、試験の範囲を最初から最後まで1日で全部一緒にやらないか?」100ページを越える試験範囲。相当な時間を覚悟しなければなりません。しかし、ディビッドはこの無謀なチャレンジを快く引き受けてくれました。
 午後4時からスタートした復習授業は、「90分授業10分休み」を繰り返すものでした。途中1時間の夕食をはさみ、私は英語、彼は日本語を次から次へと喋り続け、睡魔と闘いながら、ふらふらになって最後の1文を言い終えたのが翌朝の午前4時過ぎでした。握手を交わし、アパートを飛び出し、“We made it!!”「やったぁ!」と二人で夜空に向かって大声で叫んだことを今でもはっきりと覚えています。
 10週間のプログラムを終え、ディビッドとは次第に疎遠になっていきましたが、約1ヶ月後、彼が「日本語講座」で「A」の成績を取り無事単位を修得したことを知りました。

 お互いを信頼しバイリンガル・メソッドにこだわり続けた結果が「A」という形で現れたのだと自負しております。ディビッドはその後、早稲田大学に留学し経済学を勉強して、卒業後は念願のニューヨークにある日系企業に就職することができました。
彼の留学中、一緒に京都や奈良に遊びに行ったことは今では懐かしい想い出になっております。 吉良

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