2010.01.28
わかってもらえなくても大丈夫
中学2年生になるY子は、毎日アウラに来て学んでいます。休みも遅刻もなく、毎日同じように淡々と学習の日々を送っています。ただ特徴的なのは、周りの子どもたちとほとんどコミュニケ―ションを取らないこと、周りに人がいようがいまいが、彼女は全く同じように学習を続けるのです。
普段はほとんど自分から話すことのないY子ですが、私の問いかけには、徐々に自分の考えや思いを話してくれるようになっていきました。そんなある日、塾生全員に向けたアンケートで、彼女は「アウラでの勉強と学校での勉強の違い」について、こんなことを書いていました。
学校『集団』『非効率的』。アウラ『個人』『効率的』。学校は大勢の生徒に対して1人の先生。どんなに気を配っても少しはムラができる気がする。アウラはひとりひとりそれぞれ自分のペースで進め、分からないところがあったら先生に聞く。自分で十分理解できるところはどんどん進む。とっても効率的だと思います。学校だと自分が理解できていなくてもだいたいの子が理解出来ていたら進んでしまって、自分は結局きちんと理解できずに次の勉強に取り掛かる。逆に自分が理解出来ていても、だいたいの子が理解しきれていなかったら、また最初から説明しなおし、非効率的だと思います。
私はY子の出したアンケートを見て、少し驚きました。彼女は小さな回答欄に、その枠を超えて自分の思いを書いていたからです。この文章から、彼女が学校生活に満足できなかったこと、そしてアウラでの生活に満足している様子が伝わってきます。それと同時に私の頭の中にある思いがよぎりました。それは、Y子がいつも周りを気にせず一人で淡々と学習を続けることに、ある種の問題意識を持っていた私自身に対する疑問でした。
「Y子の行動は、〈問題の行動〉だと言えるのだろうか?」
確かに、Y子は私たち教師とはコミュニケーションをとりますが、同世代の子どもたちとは自分から話しかけることはまずありません。しかし、お昼の時間や掃除の時間などの共同の時間には、一緒に行動をとっています。そこでの振る舞いも、ごく自然なものです。ただ、自分からは一切話そうとはしないのです。私は、最初の頃、「Tちゃんと1日1回は何か話すように」なんて指示を出していたこともありましたが、本人が全く実行しなかったので、それもやめてしまいました。そして、彼女の行動をじっと観察していくうちに、「一人でいれることも、また能力ではないか」という思いを抱き始めるようになっていきました。
「Y子ちゃんは、一人で勉強してても、大丈夫?」
「はい、全然大丈夫です」
「じゃあ、周りに人がいてるのと、一人で勉強するのはどっちがいいの?」
「・・・、どっちも同じです」
「じゃあ、周りに人がいようがいまいが、Y子ちゃんにとっては同じということ?」
「はい、同じです」
Y子は、大変礼儀正しい口調で、私の問いかけに答えていました
「Y子ちゃんは、家でも一人でいるの?」
「いいえ、私は5人兄弟なんで、なかなか家では一人でいることができないんです」
「一人でいることは好きなの?」
「はい、好きです。自分の時間が、落ち着くんです」
「アウラでの勉強はどう?」
「家では、落ち着いて勉強できないから、ここでの時間がとっても気に入っています」
「Y子ちゃんは、来年3年になるけれど、高校は行きたいの?」
「一応、行こうと思ってるんですが、何か通い続けていく自信がなくて…。それやったら、通信制に行って昼間はアルバイトしようかなあとも思うんです」
Y子は、兄弟が多いので家計の負担を気にしている様子でした。
「僕は、通信制の高校より全日制の高校へ行く方がいいように思う。Y子ちゃんは、小学校でも不登校になり、地元の中学がいやで私立の中学に入学したけど、1ヶ月でまた行けなくなった。今まで2回学校生活につまづいてきたわけや。だから不安なのはよくわかる。でもだからこそ、これを乗り越えてほしい。“学校でも私は大丈夫って”思えるようになってほしい。高校に入ることより、“私、大丈夫”って思えることがY子ちゃんにとって大きな意味があると思う。だから、全日制の学校へ行くのがいいと思うんや。それでも、もし高校に行って途中でダメになることがあっても、またアウラに戻って勉強すればいい。僕の言っている意味、わかるか?」
「はい、よくわかります」
Y子は、そういってうなずいていました。
Y子は、かつて「私は、結婚したくないけど、子どもは欲しい」「早く家を出て、自立したい」というような話をしたことがありました。そして「自立していくためにも、仕事が必要だし、そのためには、他人ともうまくやっていけるだけの術を身につけなければならない」ということも話していました。まだ中学2年生の女の子ですが、彼女なりにいろんなことを考えているようでした。それは将来のことだけでなく、自分自身のことについてもよく理解しているように感じられました。私は、そんなY子にこんな質問をしたことがあります。
「Y子ちゃん、Y子ちゃんのことをよく理解してくれた先生って今までいた?」
「ううん、先生はいつも“あなたは、こうでしょう”って言ってたけど、それってみんな違っていた。でも、説明してもどうせわかってくれないだろうから、いつも適当に返事をしてきた」
「そうなんや、じゃあ家族はどう?」
「家族もあんまりわかってないかも…、でも下の妹は少しくらいわかっているかな」
「じゃあ、カウンセラーの先生は?」
「そんな話、したことない」
「ふーん、そしたら、こんなこと僕と話すのは、ほとんど奇跡みたいな状況なんや」
「はい、そう思います。先生とは、なんでか知らんけど話せてしまう」
「僕はY子ちゃんのこと、かなりわかってる?」
「うん、そう思います」
「でも、なぜ僕はY子ちゃんのことわかってるって、思うんやろ。他の人と何がどう違うんやろ?」
「……」
「ひょっとしたら、僕は、Y子ちゃんという人間に興味があるのかもしれない。僕は一人は基本的にいやな人間だと思う。一人の時間は嫌いではないけど、ずっと一人はいやなんや。でもY子ちゃんは違う。ある意味、僕と対照的な存在かもしれない。だからもっと知りたいと思ってきたのかもしれない」
「ふーん。そうなんですか…」
「きっとそうだと思う。Y子ちゃんが学校の先生に違和感を感じたのは、Y子ちゃん自身を普通の子の型にあてはめようとしたのかもしれないな。でも僕は僕とタイプの違うY子ちゃんを知りたいと思ってきた。そう思いながら、いろんな質問をしてきたんだと思う。だから答えやすかったんじゃない?」
「うん、そう思います」
「そうしたら、ひょっとして僕がY子ちゃんの初めての理解者になるかもしれんな」
そう言うと、Y子は、クスッと笑っていました。
Y子は、今まで自分をわかってくれる人なんていないと感じてきたのかもしれません。それは、家族も例外ではありませんでした。Y子はいつも友達に合わせて学校生活を送り、家族に合わせて家庭生活を送っていたのかもしれません。どこか相手と関わりながらもある距離感を保っていたのかもしれません。だから彼女は孤独を愛するようになっていったのでしょう。そんな彼女をありのまま受け入れていくことで、何らかの動きが生じていくように思います。これからどのような変容を遂げていくのか、私は楽しみにしています。
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