2010.03.05
コトバにならないコトバ
卒業したA子が、お土産を手にしてアウラにやってきました。
「いつアメリカから帰ってきたん?」
「塾長、私アメリカ行かなかったんです。向こうはすごい雪で帰れないかもしれないということだったので、急きょ、カンボジアに行ってきたんです」
「えっ、またどうしてカンボジア?」
「『地球の歩き方』って本の中に、海外ボランティア募集の記事があって、それでカンボジアに池を造りに行ったんです」
A子は、そういうとカンボジアで撮ってきた写真を嬉しそうに私に見せては、1枚ずつ説明してくれました。
「ここが子ども支援センター、親を戦争で失った子どもたちの教育をNPOが支援しているんです。みんなすごく勉強してて、この子なんかは、将来、医者になるって言ってました。私たち、日本の子どもと目の輝きが違うっていうか…、みんな大変な経験をしてきたのに、そんなこと感じさせないくらい元気に頑張ってるんです」
「なるほど、カンボジアは大変な内戦があったからなあ…、でも、子どもたちはそうなんや」
「暗い感じは、全然ないんです。それがすごいというか…。今でも地雷がたくさんあって、入れない場所もたくさんあるんです。ほら、この写真、ここは地雷が埋まってるところ。それから、これは川の上で生活している人たち、ここにも上がらせてもらったんです。こんなところで生活していることに、ショックを受けました」
「どんなショック?」
「何か、私とあまりに違いすぎて…」
「大変そうなの?」
「ううん、そんなことはない。みんな明るい…」
A子は地元の人たちの生活に触れて、カルチャーショックを受けていました。でも、そこにとどまらず、自分の生活との比較をはじめ、彼らが大変な生活を送りながらも明るく生きている事実に驚きをもったようです。そして、その明るさがどこから来るのか、私たちは、このままの状態で生きていいのか、様々な思いを巡らせていたようでした。
「実は、このツアーに両親は大反対だったんです。“危ない”っていうイメージがカンボジアにあったんだと思います。だから、このツアーは私のお年玉をためた貯金で行ったんです。でも、行ってよかった。ちょうど、大学に入る前だから、余計よかった気がする」
「どういうこと?」
「学生生活そのものが変わっていく気がするんです」
「それはよかった。じゃあA子ちゃん、今の思いを文章にまとめてみてよ」
「えーっ、難しい。どう書いていいのかわからないです」
「わからないから、それを言語化してみるんや。自分の生の体験、そこで感じた活き活きとした感情を、言語化してみる。コトバにならないものを、コトバにする作業をやってみるんや。英語で“Inter Language”というコトバがある。コトバになる前のコトバ、それを文章にしていく。大事だから、ぜひやってみてよ」
私は、彼女にそう伝えました。
A子と私との関係は、去年の暮れに宮台真司の『14歳のための社会学』を一緒に読んだことをきっかけにして本格的なものになってきました。私は、彼女の書いた本文要約に、彼女自身のパースペクティブがないことを指摘しました。文章の中に彼女の意見は述べられているものの、そこには彼女の生活がない。彼女自身の生活の中から紡ぎだされるような意見がなかったのです。すべてが客観的に書かれており、そこに書かれた意見と彼女の生活との間は切り離されており、そこに乖離があったのです。だから、私はそれらを統合することの大切さを話しました。A子自身の〈語り〉を育てるために…。そして今回のカンボジア行きは、そのことと無関係ではないように思いました。
「どう表現していいかわからない」とA子自身が話すその部分にこそ、彼女の語りがあるのです。彼女の体験は、それを言語化することによって〈経験化〉され、彼女固有の意味付けがされていく。そして、この経験化されたものが、彼女のこれからの具体的な行動を変容させていく。このことは、私の学びのイメージに大変近いものかもしれません。
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