2010.06.11
私のまきこみ癖
銀行員のS君は、1ヶ月に2回はアウラに顔をだします。もちろん仕事で顔を出すわけですが、世間話の傍ら私はいろんな話を投げかけます。大変優秀な国公立大学の経済学部を卒業したS君は、今年で入社2年目になります。
「どうしたの、つかれてるみたいだけど…」
「いや決算が近いんで、毎日夜10時頃になるんです。それに今週末に試験があって…」
「銀行員になっても、試験があるの?」
「銀行協会の試験なんですけど、こんな試験受けても意味があるのかって思うんですが、受けさせられるんですよ」
「意味があるのかって、どういう意味?」
「実際のお客さんの状況に、あまり役立たないように思うんです」
「どうしてだろう。どうして役立たないんだろう」
「どうしてって、お客さんの状況は、様々ですからね…」
現実に振り回されている新人のS君には、めまぐるしいばかりの現実のバリエーションに、ただその対応に追われるばかりです。次から次へとやってくる課題にただただ対処してるだけなのかもしれません。学習でも仕事でも経験値が上がっていくということは、処理しなければならない課題が増えるわけですから、どこかで新しい学び方、処理の方法を手に入れなければなりません。
「現実というものは、変数がやたら多い。でも学校で教えられることは、変数がかなり制限されている。S君は、優秀な大学を卒業したんだけれど、所詮、学校で学ぶことは、変数に制限がかかっている。そのことについて自覚的である必要があるんだ。答えのある課題、一つの答えに集約される課題は、必ずそこに変数の制限がある。東北大学の先生が言ってたけど、おそろしく複雑な計算をロボットは瞬間で処理できるけど、100円持って駄菓子を買いにいくことはなかなかできないんだって、それは変数が多いからなんだ。S君は、銀行に入社して、お客に対応して、現実の変数の多さに戸惑ったわけだ。でも、これがスタンダードなんだ。これがまさに本当の世界。学校での学びは、変数の制約という観点で考えれば、作られた虚構の世界なんだ。だから、今現実の世界を前に仕事をしているS君には、そのギャップを埋めるだけの思考が必要になってくる。飛躍が必要になってくるんだ」
「おもしろいですね」
「おもしろいか?(笑)」
「いや、おもしろいです」
私は、こんな風にすぐに人を巻き込んでしまいます。それは時に保護者であり、時に卒業生であり、時に行政の人間であり、時に学校の教師でもあります。私からすれば、この話はよくスタッフや子どもたちに話していることなんですが、それは銀行員のS君にとっても興味があることのようです。
「“意味がない”って感じるのは、つまりS君自身が意味を構築できていないからです。まだ意味を構築する能力が育ってないのかもしれない。いや、意味を考える必要性すら感じていないのかもしれない。このまま、現実に追われ続ければ、いつか適当にやることを覚えるか、あるいはパンクするしかない。そうじゃないですか?」
「そうだと思います」
「だから、そこで考えないといけない。せっかく優秀な大学を卒業したわけでしょ。頭を使わないと…」
「どうすればいんですか?」
「メタな思考がいる。たとえば、私の話す論理はS君が受ける試験には、まったく役に立ちません。ただその試験の意味を構築することには役に立つかもしれません。つまり、私の話す論理と、試験の中にあるある論理は次元が違うのです。この異次元の論理を、常に自分の中に共存させないといけないんです。すると無限の変数が存在する現実を、さまざまなフレームで括りながら整理することができるようになる。一つのフレームじゃ役に立たない。複数のフレームをずらしながら現実を捉え理解することが大切なんだ」
「なるほど」
「私の話していることわかりますか?」
「ええ、なんとなく」
「まあ、そんなこと少しは考えてみてください。そうすると、少しは疲れなくなるかもね」
こうしてS君は、私に巻き込まれていきました。アウラに来るたびに30分、1時間と私の議論の相手をさせられる羽目になっていきました。こういう話が毎回のように重なっていくと、いつかS君自身の中に変化が起こります。私は、それを見たいのかもしれません。アウラは、そういった意味でもまさに〈森〉なのかもしれません。
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