2010.06.25
彼女が語りだす時
アウラに研修にきている大学生のFさんは、週1回不登校の子どもたちのいる時間帯にやってきます。そして、子どもたちに関わり、教科の学習のお手伝いをし、授業終了後、私とその日あったことについて振り返りをおこない、自宅に帰ってからそれをもう一度文章化して私宛にメールで送ってくれます。以下は、その文章の一部です。
「…知誠館に行くのは今日で六回目。たったの六回だが、私の中でいろんなものが変化している。一つの事象に対して、以前より視点を多く見出せるようになった。そして、すべてのことは繋がっているのかもしれないと思うようになった。何かひとつでも一生懸命取り組めば、それによって得た力が他のことにも応用できる。そして何より、一生懸命やったという経験が自信となり、自分を支えてくれる。反対に、何事に対してもいいかげんにやっていると、それに対する後ろめたさが自信を失う原因となり、物事を楽しむことができなくなってしまう。そして同じことを繰り返す。まるで負のループだ…」
Fさんの中で起こっている変化、それを彼女は次のような抽象的なコトバを使って表現しようとしています。
〈視点を多く見出せるようになった〉
〈すべてのことが繋がっていると思える〉
〈一つのことを一生懸命取り組めば、それによって得た力で他のことにも応用できる〉
〈自信が自分を支えてくれる〉
彼女の中で生じた変化は、ある得点を超えられたとか、何かの資格が得られたとか、そんな具体的なものを決して指すものではありません。それは、抽象的であり、主観的であり、どこかあいまいさを含んだものであるのかもしれません。だけど、彼女は変わり始めているのです。確実に変わり始めているのです。
彼女の変化、それは彼女の視界そのものの変化と言えるかもしれません。彼女の見ている世界そのものが変化し始めたのです。だからこそ、同じ風景を見て、以前はバラバラに存在していたモノが、繋がりを持ち始めるのです。J.メジローは、このような変化を〈パースペクティブ変容〉と名付け、具体的なコトの変化〈スキーマ変容〉と区別して捉えました。そして学びの本質的な目的を、この〈パースペクティブ変容〉においたのです。そういった意味では、彼女は、今まさに自ら語り始めることによって、どこか今までとは違う、今まで経験したことのない学びの世界を垣間見ているのかもしれません。
「20歳にしてやっと気が付いた。やはり私は同世代の人達に比べてかなり幼い。今日の先生の、あまり生徒を子どもとしては扱わないという話にとても共感した。自分の14歳のころを思い出すと、大人たちが思っているよりいろんなことを考えていたような気がする。子どもは、大人が思っているより大人だ。それに、20歳になった今も、私は大して変わっていないように思うからだ。私は立場としては一応先生だが、先生と呼ばれるような人間ではない。だから、できるだけ生徒が見ている世界に近づいていろんなことを考えてみようと思う」
自省的な彼女の文章、そこからFさん自身の謙虚な姿勢が伝わってきます。私の生徒への関わり方を見て、彼女は自分自身の過去を振り返り、現在を振り返ります。私のことを自分自身の課題として見ていくことで、新しい自分の存在が見えてくるのです。そしてふと気がつくと、彼女の語りが私の語りと重なっていることに気がつきます。彼女が語り始めた時、それはアウラの学習者となったことの証であるのかもしれません。
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