2010.07.10
今この瞬間に研究の片鱗を見る
2週間に1度、私は私の大学の師である中村先生と対話の時間を持っています。この二人の対話は去年の10月からスタートし、終わることなく続いています。知の世界がそこで生産され互いを刺激し合う場、今回はそんな雰囲気をみなさんにお届けします。
私の中には、ある確信があります。それは「その人の仕事が本物(authentic)であればあるほど、その仕事そのものが、その人の一挙一動の中に表現される」ということです。
「ここらへんは、何か北村さんは一生懸命、私のことを聞いてくれてるよね。久しぶりだね、初めてだよね、こんな風に取り上げてくれるの?」
「あ、これ?」
「まあ、そもそも、私が何やってるかさえ知らなかった時から見るとね。たくさん私の書いた本をあげて、とにかく“指導教員が何やってるか知らない”というところからの始まったことを思うと、だんだん関心を持ってくれてるじゃない?」
「そうですね」
「これいったい何なの?どういう事態なの?」
「いや、あのねえ…」
「何でそんなことができるかということが、私は不思議なんですけどね」
「えっ?」
「そのー、指導教員が何やってきたかも知らずに、この環境を作るっていうのはどういうことなのかということに強い関心があるんだけど…。普通の学生の入り方じゃないもんだから、ね、ちょっと聞いといた方がいいかなあと、とにかく不思議なアプローチなものだから…」
「それは、前も言ったように、やっぱりベイトソンの本をいきなりだしてきたからですよ」
「“ベイトソンを読め”って?」
「そう、そう言うから、“この人、半端な人じゃない”って思ったんですよ」
「そんな風に直観的に思うって、どういうこと?何か判断軸があるんでしょ?」
「私は、それまでベイトソンを知らなかったしね。だから、言われたその時は、そんなに思わなかったのかもしれない。でも、読み始めて“こういう本を出してくるか…”って、半端じゃないねと思ったんですよ。あのね私ね、結構、人をある程度自分で評価してるかもしれない」
「そうでしょうね」
「この人は、どのレベルなんやろうとか、ここまで来るかなあとか…、これおもしろいんですよ」
「なるほど」
「だから中村先生については、どんな研究をしてようが、そんなことあんまり…」
「表面的なことであると…」
「そうですね。だからベイトソンの話があって、こんな風にエピソードを色分けするサジェッションがあって…、そうそう、この色分けのサジェッションも私にとっては、インパクトありましたね。そういうところのすごさというのか、でも、こういう風な中村先生のものの見方というのは、どういう風に先生自身がこれまで、あるいは今この瞬間も社会病理を見ているかというまなざしを反映していますよね。だから、先生のサジェッションの中に、その研究の姿を読み取っていたんだと思うんです。だからだんだん先生の研究にも興味を持ってくるわけですよ」
「それはだから、何か行間が埋まっていくわけ?」
「そんな感じかもわからないね…」
「ふーん」
「あのー、だからさっきのHさんの話じゃないですが、文脈がどんどん見えてくるわけですよ」
「なるほど、そういうつきあいなんだな、それは大人だわ、大人…」
「大人かどうかは…、でも、先生は極めて一生懸命な人だから…、私は一生懸命な人間が好きなんです」
「だからそれは、多動なんだって…」
「一生懸命ですって…」
「多動…」
「だから、それと…」
「直観的ですよね、自分の感性を信じてるでしょ?」
「そうかもしれませんね」
「まあ、でもこうしてあらためて見てみると、北村さんが私のある側面を引っ張り出しながらも、共通にどういう点に関心があって何を聞いてるのかというのがあるじゃない、それはそれで焦点定まっているから、まとめてみるとおもしろいですよ。私はこんな私なのかというのが、よくわかるんですよ。それは北村さんは、他者だから私のすべてを映し出しているわけじゃないんですが、自分の関心で見てるわけですから、でも文脈を見るという点では何かコンテクストを読み取ってるんでしょうね…」
「でも、やはり重なっている部分を見てるんでしょうね」
「最近読んだ本で『ミラーニューロン』というのがあって…」
「それ、私も読みましたよ」
「脳科学ですよね。共感したりだとか、悲しんだりとか、怒ったりとか、感情を読み取るマインドリーディングみたいなことを、なぜ人間はできるのかと、そんなことは神経学的基礎があって、鏡のように何かを模写したりする中で、同じ気持ちを感じられる。そして感じられないのが、自閉症だということ言うことになるんだけど、そういう側面ではミラーなんですよ。何かを映し出してるわけですよ。映し出し合ってるんですよ、きっと…。まあこれ知的な側面が強いですからね」
「まあでも、社会病理学という点では、今、佐々木先生の授業を受けて、あれも面白いわけですよ。というのは、その授業を受けなかったら、私は中村先生を通してしか知らなかった社会病理学でしかなかったけど、もう一つそこに違ったチャネルができることになるので、そうすると今度は社会病理学というものが、私のテリトリーの中に入ってくるんですよ。それは、社会病理学が一つの人格となってやってくるので、それは面白いなって思えるんですよ。しかも、たまたま授業でハワード・ベッカーを読んだので、どういうパースペクティブで現実を切り取っていくのかという手法、これもメタレベルの話、いやパースペクティブ自体がメタレベルなロジックなので、だから現実をどう切り取っていくとどんな風に見えるとか、そんなところがこの色分けの話であって、これもまた一つの切り取り方に過ぎないって言うところが面白いんですよ」
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