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      <title>知誠館 : スタッフブログ</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>コトバにならないコトバ</title>
         <description>卒業したＡ子が、お土産を手にしてアウラにやってきました。

「いつアメリカから帰ってきたん？」
「塾長、私アメリカ行かなかったんです。向こうはすごい雪で帰れないかもしれないということだったので、急きょ、カンボジアに行ってきたんです」
「えっ、またどうしてカンボジア？」
「『地球の歩き方』って本の中に、海外ボランティア募集の記事があって、それでカンボジアに池を造りに行ったんです」
　
Ａ子は、そういうとカンボジアで撮ってきた写真を嬉しそうに私に見せては、1枚ずつ説明してくれました。

「ここが子ども支援センター、親を戦争で失った子どもたちの教育をＮＰＯが支援しているんです。みんなすごく勉強してて、この子なんかは、将来、医者になるって言ってました。私たち、日本の子どもと目の輝きが違うっていうか…、みんな大変な経験をしてきたのに、そんなこと感じさせないくらい元気に頑張ってるんです」
「なるほど、カンボジアは大変な内戦があったからなあ…、でも、子どもたちはそうなんや」
「暗い感じは、全然ないんです。それがすごいというか…。今でも地雷がたくさんあって、入れない場所もたくさんあるんです。ほら、この写真、ここは地雷が埋まってるところ。それから、これは川の上で生活している人たち、ここにも上がらせてもらったんです。こんなところで生活していることに、ショックを受けました」
「どんなショック？」
「何か、私とあまりに違いすぎて…」
「大変そうなの？」
「ううん、そんなことはない。みんな明るい…」

Ａ子は地元の人たちの生活に触れて、カルチャーショックを受けていました。でも、そこにとどまらず、自分の生活との比較をはじめ、彼らが大変な生活を送りながらも明るく生きている事実に驚きをもったようです。そして、その明るさがどこから来るのか、私たちは、このままの状態で生きていいのか、様々な思いを巡らせていたようでした。

「実は、このツアーに両親は大反対だったんです。“危ない”っていうイメージがカンボジアにあったんだと思います。だから、このツアーは私のお年玉をためた貯金で行ったんです。でも、行ってよかった。ちょうど、大学に入る前だから、余計よかった気がする」
「どういうこと？」
「学生生活そのものが変わっていく気がするんです」
「それはよかった。じゃあＡ子ちゃん、今の思いを文章にまとめてみてよ」
「えーっ、難しい。どう書いていいのかわからないです」
「わからないから、それを言語化してみるんや。自分の生の体験、そこで感じた活き活きとした感情を、言語化してみる。コトバにならないものを、コトバにする作業をやってみるんや。英語で“Inter Language”というコトバがある。コトバになる前のコトバ、それを文章にしていく。大事だから、ぜひやってみてよ」
私は、彼女にそう伝えました。

Ａ子と私との関係は、去年の暮れに宮台真司の『14歳のための社会学』を一緒に読んだことをきっかけにして本格的なものになってきました。私は、彼女の書いた本文要約に、彼女自身のパースペクティブがないことを指摘しました。文章の中に彼女の意見は述べられているものの、そこには彼女の生活がない。彼女自身の生活の中から紡ぎだされるような意見がなかったのです。すべてが客観的に書かれており、そこに書かれた意見と彼女の生活との間は切り離されており、そこに乖離があったのです。だから、私はそれらを統合することの大切さを話しました。Ａ子自身の〈語り〉を育てるために…。そして今回のカンボジア行きは、そのことと無関係ではないように思いました。

「どう表現していいかわからない」とＡ子自身が話すその部分にこそ、彼女の語りがあるのです。彼女の体験は、それを言語化することによって〈経験化〉され、彼女固有の意味付けがされていく。そして、この経験化されたものが、彼女のこれからの具体的な行動を変容させていく。このことは、私の学びのイメージに大変近いものかもしれません。


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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 09:47:19 +0900</pubDate>
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         <title>再帰的思考、〈仮説〉と〈検証〉</title>
         <description>　その日、私は高校生の数学を教えているＹ先生と今年第一志望の大学受験に失敗したＴのことについて話をしていました。もともと国公立大学の法学部を目指していたＴは、文系科目を得意としていましたが、数学が苦手でした。しかしＴは大変よく学習をする生徒で、Ｙ先生の出した課題も家ですべてこなしていたにもかかわらず、今回の入試については、数学で思うように点数が取れなかったのです。大学を首席入学したＹ先生は、受験数学についても大変高い能力をもっており、また生徒への強い熱意があるにも関わらず、Ｔの数学を十分に伸ばしきれなかった。それが、いったいなぜなのか、私はＹ先生と一緒に考えてみたかったのです。

「Ｔのことなんだけど、Ｙ君が指導していて彼女は〈伸びた〉って感じを持った？」
「…、Ｔは本当によくやってくれたんですが、正直、あんまり伸びてないように思います」
「なぜ伸びなかったんだろう。僕から見てもＹ君は数学について高い能力を持っているし、Ｔの学習へのモーティベーションも高かった、にもかかわらず〈伸びなかった〉のはどうしてなんだろう？」
「実は、僕もそのことを今までもずっと考えながら指導してきたんです。いろんな教材を調べたり、有名な予備校講師のシラバスを確認したりしたんですけど、特に僕の指導の流れに問題は見つからなかったんです。生徒との関係も良好だったし、特にＴなんか、よく慕ってくれてたんです。でも、伸びなかった。僕にもわからないんです」

Ｙ先生は、中学の時に数学がまったくと言っていいほどできない子どもでした。それが高校に入学してから一変します。少し家庭内で複雑な事情を抱えていたこともあり、きちんと勉強して難関大学に入学することを目標にかかげ、自学自習で数学の力を磨いてきたという経験を持っています。私は、彼を講師に採用する時、彼のそんな経験に魅力を感じていたのです。だからＹ先生は、数学ができない生徒の状況はよく理解できるのです。

「Ｔは、主体的に数学の考えを組み立てていたんだろうか？あるいは、Ｙ君から指示されたことをただ処理していただけなのではないだろうか？僕が思うのには、数学ができるようになるためには、自分で数式の処理をしながらも、その処理が全体の中でどんな位置にあり、何を意味するのかを常にモニタリングしなければいけないと思う。つまり、目の前のことを処理をする思考と、その処理をモニタリングする思考の両方が同時に必要になってくる。だから、ひょっとするとＴは、そのモニタリングの思考、メタレベルの思考が育ってなかったのかもしれない。どうだろうか？」
「確かに、そうかもしれません。Ｔは僕の出す課題を、ただ処理していただけかも知れません。今まで何度か僕は塾長の数学の質問に答えてきたことがあるじゃないですか、塾長は高校数学の公式をほとんど知らないのに、どんどん問題を解いていかれる。図を使ったり、グラフを描いたり、見当をたてて数字を当てはめてみて、そこから仮説を立て、次の数字をいれて検証する、だいたいそんな方法で問題を解かれてきたと思うんです。そんなやり方をする生徒なんて誰もいないんです。あらゆる情報から可能性を見つけ、それを組み合わせて仮説を立て、同時に検証する。そしてその仮説が行き詰まると、その行き詰まり方からも情報を吸い上げて、さらなる仮説を組み立てていく。塾長は、そんな感じの思考が恐ろしく強いんだと思うんです。まさにＴには、その力が育っていなかったんだと思います」
「じゃ、どうすれば育つんだろう？」
「うーん…、僕は今まで問題を多くこなしていくことで、そういう能力が身に着くと思ってたんですが…、でもＴは身に付かなかった…」
「たとえば、ある対象物に何かをどんどん与え続けると、その量に応じて定量的な変化がみられる。でもこの実験をし続けていくと、ある段階で急速に変化が大きくなるポイントがあるように思うんや。少し比喩的な表現だけれど、その変化が大きくなるポイントでは、対象物の内部の構造がある段階を境に変わったり、別のファクターが働き、変化そのもののあり方が変わっていく。こんなことが数学の学習においても起こるんじゃないかな。つまり、数学の力を伸ばすには、問題を与え続けるだけでは不十分であるということ、何か別のファクターがいる。それが何かだよなあ…」
「なるほど…、そうかもしれません。でも、それって何なのでしょう？どうすればそれが育っていくんでしょう？」

すぐに答えの出ない問いがはじまりました。アウラではよく生じるやりとりです。決して私が答えを持っているのではありません。私も一緒に考えていくのです。

「塾長は、どうしてそんな多面的な思考ができるようになったんですか？それって、昔からそうだったんですか？」

Ｙ先生の質問に私は考え込んでしまいました。そういわれれば、子どもの頃からそうだったのかもしれない。とにかく小さいころから、仮説を立てて考えることは好きだったように思います。特に答えが出ないことが好きでした。それと誰かとその問題を共有して考えることが好きでした。それは、誰かと問題を共有することで、自分とは違った考え方を手に入れることができるから、そのことによって新たな仮説を作り出せるからだったように思います。高校生の時、ある数学の教師にこう言われたことがあります。
「おまえは、いつも考えすぎるから数学ができないんや。公式を覚えてそれに当てはめる。考える暇があるんなら、問題のパターンを覚えろ」と…。

「確かに僕は、子どもの頃から〈考える〉ということそのものが好きだった。考えるということは、主体的でなければ成り立たない。試行錯誤しながら、いや、言い方を変えれば〈考える〉ということは、〈仮説を立ててそれを検証する〉という連続的な作業じゃないかなあ。仮説は、自分の持っている既有知識と問題から提供される未知の情報との関係性を見つけ出すことで構成されるから、それは教師によって与えられるものじゃない、自分でその関係性を作り出さないといけないんだ。難解な数学の問題を解くには、そんな思考が必要じゃないだろうか？処理能力だけでは、決して歯が立たないように思うんだ」
「なるほど、そう思います。でも、どうすればそれが生徒にできるようになるんでしょう？」
「Ｙ君自身は、どうしてできるようになったんだと思う？僕の話を理解できるんだから、Ｙ君の中にも同質の経験があると思うんだ。どうだろう？」
「うーん…、僕はやはりたくさんの問題をやったからかなあ。でも僕の場合、教えてくれる先生がいなかった。だから自分でその勉強をやったんです。だから当然、そこには思考錯誤の過程があり、自分で検証しながらやってきたんだと思うんです」
「そう、その主体的な経験を生徒にもしてもらわないといけない。自分で仮説を立て同時にそれを検証する。知識を入れるだけ、あるいは処理の量だけでは不十分なんだ。自分で考えを組み立てられないと…」
「少し考えてみます」
「僕も、考えてみる。どうすれば、彼らが自分で仮説を立てながら自分の思考を作り出すことができるかを」

こうして、私とＹ先生との話は終わりました。数学という教科は、自分であることに取り組みながら、一方でその取り組みそのものを振り返るといったような、再帰的な思考のトレーニングとしては、最適な教科だと思います。日本の難関国公立大学が、文系であっても２次試験で数学を要求してくるのは、きっとそのことが関係しているのだと思います。より、多面的で立体的な思考のできる学習者を、アウラの教育が育てられるかどうか。私たちの挑戦は、まだまだ続いていくのです。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 04 Mar 2010 11:34:07 +0900</pubDate>
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         <title>アウラ誕生秘話</title>
         <description>私は2000年４月にアウラ学びの森を開校しました。今年でちょうど10年目にあたります。私が、アウラを作った最大の理由は、学習者である子どもたちが、学年が上がるにつれて〈勉強嫌い〉になっていく、あるいは学習を〈やらされる〉ものと捉えるようになっていく現実を何とかしたいと考えたからです。そしてこのことは、私自身が持っている学習観と今の教育が実際に提供している学習観との差異に裏付けられています。

私にとっての〈学習〉とは、大変エキサイティングなものに他なりません。それは、私にとっての未知の世界との出会いであり、私の中の既有知識が変換されていくダイナミズムです。そしてこの〈出会い〉は、私の日々の生活にも影響を与え、学びによって私の明日が変わっていく。だから、私にとっては〈学習〉は、まさに〈生活〉であり、〈生きている〉ことの証であると考えています。

ただ私のこのような学習観は、残念ながら私の通った学校生活の中で身に付いたものではありませんでした。私はむしろ、自分の学生生活の中で〈学ぶ〉ということの意味を喪失し、それを必死で見出そうともがいていたように思います。私は、かつて何人かの先生に学習に対する自分の素直な思いを投げかけたことがありました。しかし、彼らの答えは私を十分に納得させるものではありませんでした。むしろ「そんなことは考えないほうがいい」というのが、彼らの大方の返答でした。

では、いったいどのようにして、私は自分の学習観を作り上げていったのでしょう。それは、一言でいうと〈他者との出会い〉に他なりません。私は、大学在学中に一人の恩師と出会います。彼は一流の経済学者でした。といっても私は経済のことについては、当時まったく無関心であったので、彼の功績を評価することはできなかったのですが、たまたまご自宅が私の家のすぐ近所であったこともあり、私はよく彼の家に遊びに行きました。そして夜な夜な4、5時間も議論を楽しみました。当時の私にとっては、アカデミックな世界に触れた最初の経験です。私は彼の考えの組み立て方、洗練された情報、そして多面的な物事の捉え方に、毎回興奮していました。彼との議論の時間は、いつもあっという間に過ぎていきました。

それからというもの私は、本を読み始めるようになります。もちろん彼の影響でした。彼の部屋には、大きな書庫があり、私が何か質問するとそこから数冊の本を取り出し、私に引用を紹介するのです。そんな彼を見習うかのように、私は本を読み始めたのです。そしてその内容を自分でレポートにまとめては、またその内容について彼と議論をする。そしてまた、新たな問題提起が生まれる。そんなことをいつしか私は繰り返すようになっていったのです。

そんなことをしばらく続けていると、今度は本とも出会えるようになっていきました。本といっても著者との出会いです。もちろん実際に会うというわけではありませんが、確実に出会うのです。そこには〈読む〉ということを通しての私と著者との対話があったのです。つまり、私にとっての〈読書〉が〈対話〉に変わる瞬間があったのです。そうなると、ページに印刷されたコトバは、単なる媒介となって、私と著者との対話を促します。そして私は、本からも多大な影響を受けることになったのです。本に書かれてある内容が変わることはありませんが、本を読む読者はどんどん変化していきます。影響を受ければ受けるほど大きく変容するわけです。そしてその変容は、読者量を飛躍的に増やしていきました。本を読めば読むほど、私の中の問題提起は増えていき、広がりを見せるようになっていったのです。大学を卒業し仕事を始めてからも、私は人生の節々で〈出会い〉を経験し、その出会いを通して多くのことを学んできました。そしてそれは今も続いています。

このように私の〈学習観〉は、これまでの多くの出会いによって作りだされていきました。そして私を感動させるものは、常にその世界の一流の達人たちであり、彼らの生涯をかけた仕事の中に私は彼らの〈こだわり〉を見出し、そのひたむきさに感動を覚えてきたのです。彼らは、たとえいくつであっても、ひたむきな〈学習者〉であったのです。

話をアウラと子どもたちのことに戻しましょう。今の子どもたちが、学ぶ意味を喪失していき、勉強嫌いになっていく様子を、私はかつての自分自身の姿と重ねているのかもしれません。そしてそんな彼らに、私がかつて経験し、今もその中にいる〈学びの世界〉を味あわせたいと思ったのです。そのためには、〈学び〉そのものの構造を、従来の学校や塾とは全く違ったものとして再構成し直す必要があると考えたのです。

こうしてアウラ学びの森は、今から10年前に誕生したのです。もちろん誕生当初にその完成形があったわけではありません。設立当初にあったのは、私自身の経験とそれに基づく学習観、そしていくつかの学習理論だけでした。それから10年間の実践の中で、私たちと子どもたちとの数えきれない対話の中で、今のアウラの教育は、作り上げられました。私たちの教育に、ゴールがあるわけではありません。これからも変容を続けながら、模索を続けていくしか道はないのです。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 16:25:34 +0900</pubDate>
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         <title>アウラから学んだもの</title>
         <description>アウラの卒業生である高1のＨと久しぶりに話す機会がありました。Ｈは、中学3年間をアウラで学習し、最難関の高校を実力で合格し、現在高校生活を送っています。そんな彼女の家に、現在アウラに通う弟のことで電話したのですが、たまたま弟は留守でＨと話すことになったのです。

「Ｈ、元気にやってるか？お母さんから、よく勉強してるって聞いてるけど、どうなん？」
「塾長、聞いて聞いて、うち、ほとんどの教科クラスで1番やで」
「すごいな、よくがんばってるやん。全部自分で勉強してるんやろ？」
「そうや、うちは自分で勉強してるで。他の人らは塾行ったり、家庭教師やったりしてるけど、全然大したことないわ」
「やっぱり、アウラで勉強したのが、うちにはよかったわ。特に受験勉強で、とことん自分自身を鍛えることができたわ」

Ｈは、私にとっても大変印象深い生徒でした。中1でアウラにやってきた彼女は、大変理解力のある知的な感じの子どもでした。ところが、アウラに来てすぐ彼女の本性が現れてきました。とにかく〈わがまま〉なのです。自分のやりたくないことは、一切やろうとしない。「しなさい」と言われれば、すぐに文句を言う。めんどうなことも、一切手をつけようとはしない。でも理解力があるので、他の生徒より早くしかも正確にできてしまう。そんなＨと、私はよくぶつかっていました。怒鳴りつけたことも、何度かありました。そしていつしか私の指導の目標は、彼女の学習面に置かれるのではなく、この〈わがままさ〉をどうするかに向けられるようになりました。

Ｈは、学校のテストに関してはどの教科もほぼ満点をとりました。短時間の集中力は人並み外れて高いので、暗記力に優れていたのです。ただ、授業態度が悪かったので、成績は〈4〉がほとんどでした。私は、そんなＨに英検の受験を勧めました。最初は嫌がっていた彼女でしたが、友達が受験することもあり、彼女も勉強を始めることにしました。

3級の受験は難なくクリアー、次の準2級も文句を言いながらも何とかクリアーしていきました。ところが次の2級の受験については、いくら彼女の能力が高いと言っても、そう簡単にはクリアーできません。Ｈは否応なく、地道な学習をしなければならなくなっていました。それでも、文句を言い続けるので担当講師から、「嫌なら、やめてもいい。あなたが受験したいからやってるの。英検の勉強をやめるかどうか、来週までに考えてきて」と何度も言われていました。

そんなＨでしたが、3年の夏に○○高校を受験したいと言い始めるようになりました。○○高校は推薦制度もありましたが、授業態度が良くなかった彼女の成績では基準に届きません。推薦でいければ楽なのですが、実力突破ということになるとかなりの学習量が必要となってきます。私はそれでも受験したいのかと何度も問いましたが、彼女は受験したいと言い張ります。そんな彼女の意志を受けて私たちも腹を括ることにしました。

私は、まず彼女に○○高校の過去問をやらせました。私の担当する数学は15点、ほとんどできない状態といっても過言ではありません。今まで学校のテストでは、100点近い点数しかとったことないＨにとっては、屈辱的な状況です。それから私は、彼女に最難関レベルの問題集を与え、それを1ヶ月で仕上げるような学習計画を立て取り組んでもらいました。アウラでも毎日1日4時間の学習、家に帰ってからもやらないと終わりません。しかも当時の彼女にとっては、どう解いていいのかわからない問題ばかりです。1問解くのに1時間も悪戦苦闘するようなこともしばしばありました。そんな彼女に、私はまず解説をじっくり読むこと、自分の解けなかった問題を弱点ノートにまとめることを徹底させました。かつてのＨなら「めんどう」の一言で済ませてしまうようなことです。そして気の強いＨは、泣きながら問題と格闘しながらも、次第に力をつけていったのです。

Ｈは力をつけると同時に、素直な生徒へと変容していきました。
「いい子になったね」私が、そう言うと「いい子になったやろ」って笑うＨがそこにいました。受験の前日、私はＨにこう話しました。
「本当によくがんばった。Ｈは、できないことの悔しさを地道な努力で乗り越えてがんばった。この取組は、以前のＨには決してできなかったことだ。今回の経験は、きっとＨの一生の財産になるはずや。そしてここまでが、僕の仕事やったかもしれない。明日は、精一杯やってこい」
「がんばってくるわ」
Ｈはそう言い残して、家に帰って行きました。そしてＨは、見事志望校に合格したのです。高校へ入学しアウラを去ったＨに私は、しばらく会わなかったのですが、電話で彼女が、アウラでの経験が今の自分を支えていると語った時、私は本当によかったとしみじみ感じました。

アウラで彼女が学んだもの、それは単に成績を上げることではなく、志望校に合格することでもありませんでした。それを証明するものは、今の彼女の生活の中にあるのです。
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         <link>http://tiseikan.com/blog/2010/02/post_339.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 17 Feb 2010 17:33:39 +0900</pubDate>
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         <title>あけましておめでとうございます（遅）</title>
         <description><![CDATA[大変ご無沙汰しております。
以前最後に書いたブログが、12月10日のものだったので、約2ヶ月ぶりの更新です。
私は、やっと大学のテストが終わり、今は5～6本あるレポートの執筆に悪戦苦闘しています。

アウラの塾生たち、特に中学3年生の受験生の皆は、迫り来る入試本番に落ち着かない日々を過ごしているのではないでしょうか。
（もう無事終わった生徒に関しては、お疲れ様でした！）

昨年度は大学受験という大イベントに若干息切れしていた私も、今年度はゆったりした冬を過ごすことが出来ました。
そこで我が家では、今年は受験もないし、そして私は今年で二十歳だし、ということで、約10年ぶりにお雛様を飾ることになりました。
10年ぶり…
本当に不精な家族だなぁとは思いますが、7段もある雛壇の骨組みと、人形や毛氈その他諸々を天井収納庫から引っ張り出してくるのは本当に難儀なのです。（言い訳です。）

その完成形がこちら。

<img alt="Image014.jpg" src="http://tiseikan.com/blog/images/Image014.jpg" width="240" height="400" />

<img alt="ohinasama.jpg" src="http://tiseikan.com/blog/images/ohinasama.jpg" width="240" height="400" />

やっぱり飾ってみると素敵です。
今は亡き私の祖父が初孫である私に買ってくれたもの。
これからも大切にしたいと思います。

ここで、江戸時代における3月3日の過ごし方、あるいはそれがどう考えられていたかを、貝原益軒の『日本歳時記』で見てみたいと思います。
（私の現在のレポート地獄が功を奏し、たまたま歳時記が手元にありました…）

「今日めのわらはのたはぶれ事に、ひゐなあそひとて、ちいさき人形をもてあそぶ事あり。ひゐなあそびの事は、源氏物語などにも見え侍れは、いにしへより有し事なり。又源氏に十にあまりぬる人はひゐなあそびはいみはへるものをとあれば、十よりうちにてする事ならし。」
（『日本歳時記』　八坂書房　1972年）

…「十にあまりぬる人はひゐなあそびはいみはへるものをとあれば、十よりうちにてする事ならし。」
江戸時代の常識では、お雛遊びは十歳以下の子がするものだったんですね！

以上、19歳でまだお雛様を飾ってうきうきしている田中からでした。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">田中先生</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 17:35:44 +0900</pubDate>
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         <title>〈学力低下〉をどう考えるか</title>
         <description>　〈学力低下〉が叫ばれるようになって、もうどれくらいなるのでしょうか？この間、様々な教育改革が実施されてきましたが、この問題が根本的に改善されてきた兆しは残念ながら見られません。では、そもそも〈学力〉とは、何なのでしょう？どのような能力を指しているのでしょう？社会の変化に影響されない固定的な能力なのでしょうか？あらためて考えてみると、いくつもの疑問が浮かんできます。

2006年に国際機関であるOECDが実施した学習到達度調査、PISA（Program for International Students Assessment）では、「思考プロセスの習得、概念の理解、及び様々な状況でそれらを生かす力を重視する」ことが調査概要に明記されているように、〈学力〉を単に〈知識の量〉と等価に見るのではないことがわかります。ここでは、考えを組み立て、それを概念化し、さらにそれを状況に応じて使っていくといった一連の流れを〈学力〉とみなしているのです。実は、ここ20年間の社会の変化を受け、国際的な〈学力観〉は大きな変容を遂げてきたのです。以下にその変化の概要を見ていくことにしましょう。

1990年代に入って、私たちの社会は本格的な情報化時代に入りました。個人の生活の中にコンピュータや携帯の情報端末が入り込み、私たちはクリックひとつで世界の多くの情報を手に入れることができるようになりました。個人が多くの情報を簡単に手に入れられるようになったことで、私たちは大きな利便性を手に入れることになったのですが、そのことと同時に私たちは様々な社会連帯を失うことになったのです。かつて、情報は人間関係を媒介として獲得されていくものでした。ある情報を手に入れるためには、そのことに詳しい人との関係が不可欠であったのです。ところが、個人が莫大な情報と直結した時代においては、人間関係は無視できるわけです。こうして個人の情報化は、地域の連帯や家族の連帯さえ希薄化させる構造をもたらしました。まさに私たちは動かずに、情報だけを手に入れられる状況を獲得したのです。

このように、個人が情報を所有していることが前提となる社会においては、その情報をどう選択したり、どう組み合わせたり、どう加工していくかが問われます。つまり情報量が問題なのではなく、その質が問題となっていくわけです。そしてより質の高い情報を得るためには、様々な角度でその情報を検討していくことが前提となり、そこには複数の視点が必要となります。さらに複数の視点は、自分の視点そのものを別の視点でとらえなおす省察的な態度に支えられており、この省察的な態度は、他者との関係性に育てられていくのです。以上を整理すると、情報の質が問われる社会においては、他者との関係の中から生じる複数の視点がとても重要になってくると言えるのです。ここに情報化社会が構造的に抱える大きなパラドックスがあります。つまり、情報化は個人と情報そのものを直結させ、社会的連帯を希薄化させる一方で情報の質が問われる状況を生み出し、その質を高めるためには様々な他者との関係による複数の視点が必要になるのです。

さらに本格的な情報化時代の到来は、社会の産業構造をも大きく変えていきました。80年代までの私たちの社会は、主に工業生産主導型の産業構造が社会を牽引していましたが、それが知識経済、あるいは消費型経済に移行するにしたがって、サービス提供主導型の産業構造へと変化していったのです。このような社会においては、求められる人材の能力も、指示されたことを忠実に実行できるだけでは不十分なものとなり、より創造的な能力が求められるようになっていったのです。そしてそれに伴って、〈学力観〉そのものも画一的な答えを効率的に記憶するといったものから、吟味された情報から自分で概念を作り上げ、それを状況に応じていかに活用できるかが求められるようになっていったのです。

　では、このような社会変化に伴った〈学力観〉の変容に教育現場はどのような対応をしてきたのでしょう？このことについては、過去の教育改革が示すように、ほとんど手が打たれていないように思います。その理由は、この〈学力観〉の変容は、教育現場のあり方、あるいは指導目標や指導方法そのものを大きく揺るがすだけの構造的な変革を要求するものであるからです。
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         <link>http://tiseikan.com/blog/2010/02/post_337.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 07 Feb 2010 13:27:13 +0900</pubDate>
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         <title>〈受験〉と〈徒弟的関係〉</title>
         <description>　2月に入り、高校入試や大学入試がスタートし始めました。アウラの教室では、いたるところで受験生たちが、赤本とストップウォッチを持ってそれぞれの志望校の過去問題をこなしています。問題を解いては自己採点し、できなかった問題は解説を読んで理解し、それを弱点ノートにまとめていく。この時期になると受験生たちは誰しもが、このような自律的な学習をおこなえるようになっています。学習を自分自身の課題として捉え、それを一つずつ克服していく。その課題は学習面だけではなく、精神面にも及びます。自分自身の精神的な癖や弱さと向き合いながら、自分そのものを変えていく。そんな変化をこの時期の子どもたちは経験することになるのです。

Ｍ子は大変頭の良い女の子でしたが、コツコツと取り組むことが大の苦手で、「めんどうだし、やりたくない」とすぐに文句を言っていました。そんな彼女が、自分の志望校を確定したのは、10月のことでした。彼女が選んだのはかなりの難関校で、受験に合格するには実力で突破する以外の方法はありませんでした。受験の日まで4ヶ月。Ｍ子は最難関校用の問題集に取り掛かることになりました。今まで学校の定期テストや実力テストでは、いつも満点近い点数をとっていた彼女ですが、この問題集ではほとんどが解けない問題ばかりです。Ｍ子は、半分泣きべそ状態で教師のもとへとやってきます。解けない問題は、解説を読んで理解するところから始めなくてはなりません。そしてそれをノートにまとめていく作業も必要となっていきます。最初は「こんなの、解けるわけがない」と文句を言っていましたが、「じゃあ、志望校を変えればどう？Ｍ子が選んだんだから、あなたさえ納得できれば、志望校変更もＯＫだと思うよ」という言葉に、彼女は言葉をなくしていました。それから数か月、Ｍ子はよく頑張りました。気性の強さが、彼女を最後まで支えたのかもしれません。自分ができない悔しさに、泣きながら問題に取り組んだ日もありました。でもＭ子はある種の達成感を感じるまでに成長していったように思います。あの〈わがまま娘〉は、すっかりいい子になっていました。そして彼女は、受験を実力で突破していきました。Ｍ子の中で、確実に何かが変わっていったのです。

Ｍ子のケースのように、受験には様々な〈ドラマ〉がついてきます。そして〈ドラマ〉は子どもたちの変容に支えられて成立していきます。だから、私たちは受験を否定しようとは思いません。変容には〈日々積み上げられていく経験〉と、〈きっかけ〉の両面が必要となるのです。そういった意味では、受験は、十分にその〈きっかけ〉となり得るイベントでもあるのです。

アウラの教室で受験を媒介とした様々な変容のドラマが繰り返されるこの時期、受験生ではない他の子どもたちにも変化が生じていきます。彼らもこの受験生たちの変容を身体で感じ取っているからです。「自分たちも来年は、こんな風にやっていくんだ」彼らにとって、受験生は将来の自分たちをイメージする大切な〈モデル〉となっているのです。ただ、彼らはその〈モデル〉をいつも注視しているのではありません。彼らの視界の中に、その〈モデル〉は存在しているのであり、それは媒介的に彼らに受験生のあり方を伝えているのです。

　アウラの教室におけるこの学年を超えた関係性は、たいていコトバを介さない形で成立しています。先輩が後輩を具体的な形で指導するのではなく、後輩が先輩たちの姿を盗み見していくかのような形で、何かが伝わっていくのです。このような関係性を私たちは、〈徒弟的関係〉と呼んでいます。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 03 Feb 2010 13:24:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>わかってもらえなくても大丈夫</title>
         <description>中学２年生になるＹ子は、毎日アウラに来て学んでいます。休みも遅刻もなく、毎日同じように淡々と学習の日々を送っています。ただ特徴的なのは、周りの子どもたちとほとんどコミュニケ―ションを取らないこと、周りに人がいようがいまいが、彼女は全く同じように学習を続けるのです。

普段はほとんど自分から話すことのないＹ子ですが、私の問いかけには、徐々に自分の考えや思いを話してくれるようになっていきました。そんなある日、塾生全員に向けたアンケートで、彼女は「アウラでの勉強と学校での勉強の違い」について、こんなことを書いていました。

学校『集団』『非効率的』。アウラ『個人』『効率的』。学校は大勢の生徒に対して1人の先生。どんなに気を配っても少しはムラができる気がする。アウラはひとりひとりそれぞれ自分のペースで進め、分からないところがあったら先生に聞く。自分で十分理解できるところはどんどん進む。とっても効率的だと思います。学校だと自分が理解できていなくてもだいたいの子が理解出来ていたら進んでしまって、自分は結局きちんと理解できずに次の勉強に取り掛かる。逆に自分が理解出来ていても、だいたいの子が理解しきれていなかったら、また最初から説明しなおし、非効率的だと思います。

私はＹ子の出したアンケートを見て、少し驚きました。彼女は小さな回答欄に、その枠を超えて自分の思いを書いていたからです。この文章から、彼女が学校生活に満足できなかったこと、そしてアウラでの生活に満足している様子が伝わってきます。それと同時に私の頭の中にある思いがよぎりました。それは、Ｙ子がいつも周りを気にせず一人で淡々と学習を続けることに、ある種の問題意識を持っていた私自身に対する疑問でした。

「Ｙ子の行動は、〈問題の行動〉だと言えるのだろうか？」

確かに、Ｙ子は私たち教師とはコミュニケーションをとりますが、同世代の子どもたちとは自分から話しかけることはまずありません。しかし、お昼の時間や掃除の時間などの共同の時間には、一緒に行動をとっています。そこでの振る舞いも、ごく自然なものです。ただ、自分からは一切話そうとはしないのです。私は、最初の頃、「Ｔちゃんと１日１回は何か話すように」なんて指示を出していたこともありましたが、本人が全く実行しなかったので、それもやめてしまいました。そして、彼女の行動をじっと観察していくうちに、「一人でいれることも、また能力ではないか」という思いを抱き始めるようになっていきました。

「Ｙ子ちゃんは、一人で勉強してても、大丈夫？」
「はい、全然大丈夫です」
「じゃあ、周りに人がいてるのと、一人で勉強するのはどっちがいいの？」
「・・・、どっちも同じです」
「じゃあ、周りに人がいようがいまいが、Ｙ子ちゃんにとっては同じということ？」
「はい、同じです」
Ｙ子は、大変礼儀正しい口調で、私の問いかけに答えていました

「Ｙ子ちゃんは、家でも一人でいるの？」
「いいえ、私は５人兄弟なんで、なかなか家では一人でいることができないんです」
「一人でいることは好きなの？」
「はい、好きです。自分の時間が、落ち着くんです」
「アウラでの勉強はどう？」
「家では、落ち着いて勉強できないから、ここでの時間がとっても気に入っています」

「Ｙ子ちゃんは、来年３年になるけれど、高校は行きたいの？」
「一応、行こうと思ってるんですが、何か通い続けていく自信がなくて…。それやったら、通信制に行って昼間はアルバイトしようかなあとも思うんです」
Ｙ子は、兄弟が多いので家計の負担を気にしている様子でした。
「僕は、通信制の高校より全日制の高校へ行く方がいいように思う。Ｙ子ちゃんは、小学校でも不登校になり、地元の中学がいやで私立の中学に入学したけど、1ヶ月でまた行けなくなった。今まで2回学校生活につまづいてきたわけや。だから不安なのはよくわかる。でもだからこそ、これを乗り越えてほしい。“学校でも私は大丈夫って”思えるようになってほしい。高校に入ることより、“私、大丈夫”って思えることがＹ子ちゃんにとって大きな意味があると思う。だから、全日制の学校へ行くのがいいと思うんや。それでも、もし高校に行って途中でダメになることがあっても、またアウラに戻って勉強すればいい。僕の言っている意味、わかるか？」
「はい、よくわかります」
Ｙ子は、そういってうなずいていました。

Ｙ子は、かつて「私は、結婚したくないけど、子どもは欲しい」「早く家を出て、自立したい」というような話をしたことがありました。そして「自立していくためにも、仕事が必要だし、そのためには、他人ともうまくやっていけるだけの術を身につけなければならない」ということも話していました。まだ中学2年生の女の子ですが、彼女なりにいろんなことを考えているようでした。それは将来のことだけでなく、自分自身のことについてもよく理解しているように感じられました。私は、そんなＹ子にこんな質問をしたことがあります。

「Ｙ子ちゃん、Ｙ子ちゃんのことをよく理解してくれた先生って今までいた？」
「ううん、先生はいつも“あなたは、こうでしょう”って言ってたけど、それってみんな違っていた。でも、説明してもどうせわかってくれないだろうから、いつも適当に返事をしてきた」
「そうなんや、じゃあ家族はどう？」
「家族もあんまりわかってないかも…、でも下の妹は少しくらいわかっているかな」
「じゃあ、カウンセラーの先生は？」
「そんな話、したことない」
「ふーん、そしたら、こんなこと僕と話すのは、ほとんど奇跡みたいな状況なんや」
「はい、そう思います。先生とは、なんでか知らんけど話せてしまう」
「僕はＹ子ちゃんのこと、かなりわかってる？」
「うん、そう思います」
「でも、なぜ僕はＹ子ちゃんのことわかってるって、思うんやろ。他の人と何がどう違うんやろ？」
「……」
「ひょっとしたら、僕は、Ｙ子ちゃんという人間に興味があるのかもしれない。僕は一人は基本的にいやな人間だと思う。一人の時間は嫌いではないけど、ずっと一人はいやなんや。でもＹ子ちゃんは違う。ある意味、僕と対照的な存在かもしれない。だからもっと知りたいと思ってきたのかもしれない」
「ふーん。そうなんですか…」
「きっとそうだと思う。Ｙ子ちゃんが学校の先生に違和感を感じたのは、Ｙ子ちゃん自身を普通の子の型にあてはめようとしたのかもしれないな。でも僕は僕とタイプの違うＹ子ちゃんを知りたいと思ってきた。そう思いながら、いろんな質問をしてきたんだと思う。だから答えやすかったんじゃない？」
「うん、そう思います」
「そうしたら、ひょっとして僕がＹ子ちゃんの初めての理解者になるかもしれんな」
そう言うと、Ｙ子は、クスッと笑っていました。

Ｙ子は、今まで自分をわかってくれる人なんていないと感じてきたのかもしれません。それは、家族も例外ではありませんでした。Ｙ子はいつも友達に合わせて学校生活を送り、家族に合わせて家庭生活を送っていたのかもしれません。どこか相手と関わりながらもある距離感を保っていたのかもしれません。だから彼女は孤独を愛するようになっていったのでしょう。そんな彼女をありのまま受け入れていくことで、何らかの動きが生じていくように思います。これからどのような変容を遂げていくのか、私は楽しみにしています。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 28 Jan 2010 20:35:05 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>今日のトイレ休憩</title>
         <description>今日のトイレ休憩の１０分間に、初めて先生のdesk topパソコンをさわりました。　　　　　　ちなみに、このコメントは先生のパソコンから書き込んでます^^</description>
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         <pubDate>Thu, 21 Jan 2010 14:26:20 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>2010年春のチラシ</title>
         <description>今春のチラシに掲載する文章ができましたので、みなさんに一足早くご紹介します。
いかがでしょうか…？

どうして集中してしまうのか？
どうして勉強する気になってしまうのか？
アウラに学ぶ子どもたちは、口々に不思議だといいます。

教室に流れる音楽、大きな木、熱帯魚、明るさ、におい、壁一面の本、イスの座り心地、机の色、先生の関わり、その言葉かけ、塾長の語り、生徒たちの真剣なまなざし、笑い声…、ここにあるすべてのものが、子どもたちを〈集中の世界〉に向かわせます。

アウラは、子どもたちを〈自律的な学び〉へと導きます。それは与えられるばかりの勉強ではなく、手取り足取り親切に教え込まれる勉強でもありません。困難に打ち勝つ力であり、自分自身を変えていく力であり、未来を切り拓いていく力です。〈自律的な学び〉は、私たちに本当の強さを与えてくれるものです。

最新の「学習科学」に裏付けられたアウラの教育は、子どもたちをどこまでも動かし続けます。テストや受験は、ゴールではありません。子どもたちが自分自身を見出し、〈自己実現〉に向かって努力を続け、〈幸せ〉を実感しながら生きることこそ、本当に私たちが求めているものではないでしょうか。

アウラに初めてやってきた子どもたちが、〈自律的な学び〉を身につけ、たくましく成長し、やがてここを去ってゆく時、私たちは絶え間ない教育の可能性を垣間見るのです。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 21 Jan 2010 11:25:14 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>行政の仕事</title>
         <description>今回は、私がかかわっている行政の仕事について少しご紹介します。

以下の文章は、早稲田大学で教育社会学を教えている菊池栄治教授に提出したものですが、読んでいただくと、私と行政とのかかわりがわかると思います。少し長いですが読んでみてください。

不登校・初期型ひきこもり対策プロジェクト　―京都府における官民連携の試み－


1）はじめに
京都府は、不登校、初期型ひきこもり対策として、2005年度から行政と民間の連携による独自の事業を推進してきた。その事業の一つは京都府教育委員会による〈フリースクール連携推進事業〉であり、他方は京都府府民生活部青少年課による〈初期型ひきこもり訪問応援地域事業「チーム絆」〉である。筆者は、2005年当初よりその双方の事業に当事者として直接関与してきた。今回のレポートにおいては、これら二つの事業の概要と活動の推移、さらに社会的な意義について筆者の視点から論じていくものとする。
　
2）〈フリースクール連携推進事業〉－京都府教育委員会－（2005～）
京都府教育委員会による〈フリースクール連携推進事業〉は、次の二点を主旨とする事業である。まず一点目は、「不登校児童生徒の学校復帰や社会的自立を目指す取組」である。これは、民間施設と学校、あるいは市町村教育委員会、教育局が、不登校児童生徒の状況を共有化するとともに、様々な立場から支援していこうとするものである。具体的には、（1）「不登校児童生徒及び保護者への効果的な支援」、（2）「不登校児童生徒を支援する学習、体験活動のプログラム」、（3）「学校等との連携」の三項目からなっている。そして二点目は、「学習評価等に関する協働システム構築の取組」である。この主旨は、不登校児童生徒の〈評価〉という観点にまで踏み込んだものとしては実に画期的なものであり、しかもこの取り組みを民間施設がイニシアティブを持つ会議を通しておこなわれてきたという事実は、他に例を見ないものである。

実は、この〈フリースクール連携推進事業〉は、2008年からスタートした。2005年から2007年までは、その名称を〈民間施設連携支援実践調査研究委託事業〉としており、その中には、二点目の〈評価〉に関する主旨は含まれていなかった。この点が追加されるようになった背景には、筆者自身が地元の地域の学校、市教育委員会、教育局と3年間にわたり計10回の〈評価実現に向けた〉会議を先行して実施してきたことがある。筆者は、まず市教委、教育局、学校管理職の中から共通認識が得られる人材とコアのチームを結成し、その中で戦略を練りながら、まずは〈出席認定に関するシステム〉を成立させ、その後、〈評価実現〉に向けた段階的な話し合いへと3年をかけて会議を進行していった。そしてこの地域的な取り組みを背景として、府教委は全国に先駆け〈フリースクール認定制度〉（2008）を立ち上げ、府内のガイドラインを満たした民間施設を府教委の認定校と認め、同時に事業の名称を〈フリースクール連携推進事業〉と改めたのである。

しかし、筆者の地域における〈評価実現〉にむけた取り組みは、2009年以降、停滞することになる。その原因として、当初コアのチームを結成していた人材が、ほぼ同時に移動や定年によって抜けてしまったことがあげられる。また、校長会の人事にも移動があり、権力をもった会長が就任したことで、会議の進行が危ぶまれることになっていった。筆者としては、これ以上この地域での〈評価実現〉に向けた取り組みを続けることは難しいと判断し、今は在校生のいる他の地域（京都市、向日市、井出町）との話し合いを、府教委を巻き込む形で進行している。

3）〈初期型ひきこもり訪問応援地域事業「チーム絆」〉－京都府府民生活部青少年課－（2008～）
　京都府府民生活部青少年課から筆者のもとへと参加要請があったのは、2009年のことである。青少年課は、〈初期型ひきこもり訪問応援地域事業「チーム絆」〉というひきこもりに悩む青少年およびその家族を支援する事業を2008年から実施していた。その事業は概ね、相談、訪問、職場体験（職親制度）に大別されるが、この事業の最大の特徴は、京都府が元々持っていたひきこもり支援のサービスと民間施設のサービスをリンクさせ、個々のひきこもりケースに応じて適当とされるサービスを紹介しようというものである。
　筆者は、2009年より〈初期型ひきこもり訪問応援地域事業「チーム絆」〉の〈地域チーム〉という形でこの事業に参加した。元々府教委の事業を継続していたこともあり、筆者は教育行政機関や学校とのつながりをもっており、〈教育〉と〈ひきこもり対策事業〉つなげていきたいという意図があった。具体的には、義務教育を離れた〈高校中退者〉に焦点を当て、「たとえ高校を辞めてもどこかにつながりを持ちながら、社会的自立を目指せるようなソーシャル・セーフティー・ネットワーク（ＳＳＮ）を作りあげること」をその目標において取り組み始めた。筆者の地域にある3つの高校、教育局、市教委、広域振興局、大学をネットワークでつなぎ、本庁内では、青少年課と府教委高校教育課のパイプを作り上げた。そしてさらには、府教委の事業との連動も視野に入れたＳＳＮへと発展していくことを期待している。

4）官民連携プロジェクトの社会的意義について
不登校やひきこもりに悩む当事者や家族にとって、〈不登校〉と〈ひきこもり〉は、決して分離された概念ではない。あるいは〈小中学校〉と〈高校・大学〉も切り離されているわけではない。ところが、行政の視点では、それらは互いに別の概念であり、担当部署にも違いがある。この視点の違いを小さくしていかないと、本質的な支援が成立することはないと筆者は考えている。そしてこれを行政だけが実行することは至難のことである。なぜなら、行政を組織として成立させているのは、〈管理〉という概念であるからだ。〈不登校〉や〈ひきこもり〉は、いわば〈管理〉の概念からはみ出た存在であり、彼らを〈管理〉の元で支援することがうまく機能しないのは、当然のことなのである。

そういった意味では、官民連携プロジェクトの持つ社会的意義は大きい。民間施設と行政の持つ視点には、基本的に違いがあるからだ。それぞれの視点を交差させながら、地域の状況に根ざした〈社会的連帯〉を構成していくことこそ、この官民連携プロジェクトの意義である。

筆者は、〈不登校〉や〈ひきこもり〉を構造的な問題としてとらえている。したがって、それらをなくそうとする動きに違和感を覚える。なくすことはできないと考えるからだ。しかし、一旦〈不登校〉や〈ひきこもり〉になっても、そこから様々な人とのかかわりを通して社会にもう一度復帰できるようなシステムを構成することは可能であると考える。今回の京都府の新しい試みが、その一例となることを心から期待している。

5）参考文献
・京都府教育委員会 「フリースクール連携事業説明会資料」 2007
・グローバル教育研究所 「フリースクール連携事業実施報告書」2005－2008
・京都府府民生活部青少年課 「初期型ひきこもり訪問応援チーム設置要綱」2008
・斉藤純一 「政治と複数性」岩波書店　2008
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         <link>http://tiseikan.com/blog/2010/01/post_333.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 17 Jan 2010 11:19:40 +0900</pubDate>
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         <title>久しぶりの討論</title>
         <description>　今年度初の更新になりますが、最近の私の受け持っている子供たちの活動を報告したいと思います。
今週の木曜日に小学生の読書発表を久しぶりに実施しました。
今回の発表は、ウェルズ著作の「透明人間」を呼んできた生徒がその内容と感想を発表してくれた後に、皆で「透明人間」について討論をしました。
　今回何を生徒たちと討論したかというと、①｢自分が透明人間になったら何をするか？」、②「この物語の主人公が透明人間になった理由を考えてみよう」、③「透明人間になって善い点と悪い点を考えてみよう」の三点を討論しました。
　まず①に関しては、生徒達の意見としては、｢自分の気に入らない人にちょっかいを出す」、｢欲しいもの（ex.ゲームなど）」、「悪徳な政治家のお金を盗んで、困った人にあげる」などの意見が出ました。ここでは、ゲームなどを盗ることなど小学生らしい意見が出ましたが、最近の小沢幹事長の土地問題に関連させて、義賊的な意見を述べてくれる生徒もいました。ここから、生徒たちは色んな情報を手に入れ、そこから自分の意見を考えているのだなと、進行しながら感嘆していました。
　また、②に対しては、驚くような答えが返ってきました。それは「主人公は透明人間の実験体として透明人間になった」というものでした。こちら側としては、「悪いことをするため」などの安易な考えをしていたのですが、まさか実験体として透明人間になったとは予想もしていませんでした。ここでも、彼らの豊かな想像力に驚かされました。
　最後に③に関しては、まず「善い点」の意見は、「自分の守りたい人を守れる」、「悪い人を裁き、困っている人を救うことができる」などの意見が挙がりました。他方「悪い点」の意見は、「悪いことをしてもバレない」と全員が答えていました。
　以上、今回の「透明人間」から生徒たちに想像性を膨らませて沢山のことを考えてもらいました。そこで彼らが出した意見や考えは、こちらが予想していた答えとは想像もつかない答えが返ってくるので、やっていて非常に楽しいです。次回も彼らの豊かな想像力を膨らまして、色々な考えをしてもらいたいです。</description>
         <link>http://tiseikan.com/blog/2010/01/post_332.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">川上先生</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 16 Jan 2010 22:46:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>忙しさの中で・・・</title>
         <description>ブログが、ご無沙汰になってしまいました。
近況をお伝えします。

アウラでは、新年度に入り、受験生が本格的な入試モードに入ってきました。
知誠館では、まだまだあどけなさが残る中学1年生が入学してきました。
そして私は、普段の授業のほかに、来年度のカリキュラム作成、広報の準備、大学院の発表用資料の作成、集中講義…、ほとんど寝る時間も惜しむような生活を送っています。

そんな中、誕生日を迎え、48歳になりました。年齢のこともあり、そんなに無理もできないのですが、この1週間に2回徹夜をしてしまいました。

あと2週間もすれば、少し落ち着くので、もうひとがんばりやっていきたいと思います。近況報告でした。</description>
         <link>http://tiseikan.com/blog/2010/01/post_331.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 12 Jan 2010 12:30:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あけましておめでとうございます</title>
         <description>いよいよ今日から、アウラの授業が始まりました。

2009年は、巷にはあまりいい話題がなかったように思いますが、さて今年はどうでしょうか？

アウラでは、今、受験生たちが受験直前の最後の追い込みに取り掛かっています。彼らの集中が、教室全体に広がり、他の塾生たちもいい感じの緊張感を出しているように思います。

みなさん、どうか今年もよろしくお願いいたします。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">塾長</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 05 Jan 2010 00:36:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>いいなあ</title>
         <description>寒さも厳しくなり、12月らしさが増してきました。これまでにも、風邪やインフルエンザ等でアウラをお休みしていた生徒が何人かいたので、今まで以上に体調管理に気を配って欲しいと思う今日この頃です。

けっこう前の話になるのですが、アウラの中学三年生の生徒が、塾長と高校進学後の進路について話し合っている姿を見かけました。塾長に、高校のことや大学のこと、将来つきたい仕事のことなどを真剣な目で質問していた姿が印象的でした。私が中学三年生だったとき、こんなにも自分の進む道について深く考えていただろうかと思い、感心したのを覚えています。

当時を振り返ってみると、私の周りには、高校卒業後の進路について専門的なことを相談できる人がいなかったなあと思います。（当時私が進路についてあまり真剣に考えておらず、専門的知識が必要な相談事をしたいと思うようなことがあまりなかったのも一つあるかもしれませんが…）

その点を考えると、「塾」のよさはこんなところにもあるのだなと思いました。自分の保護者や学校の先生以外にも、悩み事や進路のことを相談できる大人がいるという安心感は、計り知れないものだと思います。子どもは、大人が対等に自分たちと対話してくれることで、深い安堵感を覚えますし、そしてそれは、自分が一人の人間として認められるという、自己の存在を確認できるプロセスの一つでもあると思います。

このように、「塾」というものに通ったことがなかった私は、先に述べたような塾長と生徒の姿を見て軽い衝撃を受けました。ああ、こんな姿もありなのか、と思いました。私が「アウラに通っている子どもたち、いいな」と思った瞬間でした。

生徒として「塾」のよさに気付くことはなかった私でしたが、このような素敵な光景を見せてもらえたことで、教える側の先生として新たな「塾」のよさに気付くことができました。</description>
         <link>http://tiseikan.com/blog/2009/12/post_329.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">田中先生</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 10 Dec 2009 22:37:36 +0900</pubDate>
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